PART 10:しつけと訓練

<クリ家的考察>

「訓練は楽しくなくっちゃ!」
6年も訓練にかかわっていると、相当すごいに違いないと勘違いされ、たまに訓練のことでアドバイスを求められ、ついつい口をついて出てしまう言葉である。
言うは易し、行うは難し。

楽しくやろうと思っても、ついつい顔が怖くなっているのをいつも人から気づかされる。
教えたことがうまくできれば嬉しいので自然と顔はほころぶが、覚える途上では、当然失敗もあれば、全然うまくいかないこともある。
そうじゃない!と声を荒げないまでも、顔はきっと怖いに違いない。
間違えを習慣化させないように、間違える前に、出来たところで褒める。
それでも間違えてしまった時は、すかさずそうでないことを教える。
実に、言うは易し、行うは難し。

「服従訓練」と言うと、堅苦しい言い回しで敬遠されがちである。
「服従」という言葉で賛否両論が戦わされることもある。
名称はとりあえずおいておいて、「訓練」自体は、何かを犬に教えるという部分で「しつけ」と同じだと私は思っている。
『トイレをする場所』『していいことといけないこと』『人間社会で生きていくためのマナー』『家族の一員として』等々、人間の子供に教えていくのと同じように、犬にも教えるべきことは教えてやらなければ現代の過密化した人間社会で共存していくことは難しいだろう。

人は犬達とのより良い生活のために、更に楽しいひと時を共にすごすために、彼らとの共同作業に時間を費やしながら成長し、心が癒されていくものだと私は思っている。

犬と過ごすひとときは楽しくなくっちゃ!
そのためには努力も必要だし、またその「試行錯誤も楽しからずや。」とは言っても......。

クリ家はたまたま「訓練競技会」と出会い、犬達に何かを教えることが楽しくてず〜っと続けているが、普段練習で出来ていることが本番で実らないことは数知れず。
新しいことを覚えたばかりの頃は、競技会も目新しく、クリスも生き生きと動いていたのだが、
いつの間にか彼女にとって「競技会」はつまらないものになっていたのである。
というより、私がつまらないものにしてしまったようだ。

小技のデパート状態で何でもすぐに覚えたのに、気がつくと本番では動かなくなっていた。
「競技会」で、ただ点数を取るためだけだったらいい加減やめていたに違いない。
何しろ全然点が取れなくなっていたのだから。
しかし、やはり楽しそうな彼女ともう一度リンクに立ちたかった。(私の身勝手かも知れないが....。)

悶々と悩む日々の中で、教え方のまずさ以外で、気づいたことがひとつあった。
普段の生活で適当にしていると、犬は全て「適当でよい」と判断してしまうということだった。
日常生活の中で犬に命じたことが大したことでなかったりすると、「まっ、いいか。」とか「仕方ないわねぇ。」となることが多いが、それが結局「適当でよい」犬を作ってしまったのである。
つまりは皆私の責任である。
今更気づいたの?とバカにされそうだが、実際そうだった。
師匠曰く「犬になめられてるんじゃない。」   Exactly!

いつも「クリが一番ね」などと彼女を大目に見ていた自分を戒め、言ったことはかならずやらせるようにするとともに、クリが楽しそうにするフリースタイル(Dance with Dogs)をやりながら、もう一度彼女と訓練競技会にトライしてみようと思った。

先月の復帰戦でクリはとても楽しそうだった。以前のように、仕方なく、自己判断で競技科目をこなしたのではなく、とりあえず私に、「次は?」と聞いてくれていたような気がする。

こんな風に書くと、クリ家の未来は明るいように見えるが、実は今度はニッキーが楽しくないと言い始めている。まだまだ前途は多難である。
2004年3月16日
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