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Buncyoの、FlghtGearに日本橋を作る。(2012.06.16)
画像追加(2012.06.27)
今回は、日本の道路の基準点である、日本橋を
FlightGearに作ろうと思います。
皆さん、制作については、あまり興味が無いようなので、詳しくはお話し、しませんが…。
きっかけは、FlightGearで使おうと、私の作っ
た、ワー ゲンバスの試乗で、東京方面に行った時です…
東京都港区三田のあたりを行く、ワーゲンバス。
東京タワーを横目に、順調に走ったのはよかったのです
が…
このシーナリの中を、東京方面に走るのは、今回が初めて
です。
この道路も私が、FlightGear内に、敷設したも
のですが…
何があるか分かりません。
銀座をいつの間にか過ぎて、日本橋まで来た所で、橋がありませんので、谷底へ…。
と言うわけです。
そこでweb で、資料を探しました。
有りました、99年前の、大正二年(1913)二月に発行された、工
学会誌に、「日本橋改築工事報告」の、pdf を見つけました。
早速これを元に日本橋を、FlightGearに再現し
たいと思います。
3Dソフトは、Blender-2.49b
を使います。Blender-2.63 も出ているのですが、FlightGearに使う、.ac
フォーマットに変換するのに、結局、この、Blender-2.49b を使うことに為りますので、最初からこのバージョンを使います。
日本橋の歴史&写真による
と
《新日本橋の長さは27間に幅15間、そのうち車道に10間
とって、真中の電車通が17尺、両側の人道は幅各2間半ずつ、橋面の坪数は405坪、高さは橋の底から32尺5寸、満潮の時の水面か
らの高さは丁度15尺
5寸、用いられた各種の花崗石の数は8万3000余切、使ったセメントが9300余樽、装飾用の青銅が7437貫であって、総費用が
52万3890円、工 事の日数は41年12月15日補足(明治41年 12月15日「西暦1908年」今年で、104年前)から始めて835日であっ
た》(『東京年中行事』)
長さ27間=1800x27=48.600m
幅15間 =1800x15=27.000m
車道幅10間=1800x10=18.000m
歩道幅2.5間x2=1800x5=9.000m
満潮時の高さ15尺5
寸=0.303x15.5=4.6965m
橋の底から32尺5寸=0.303x32.5=9.8475m
また、
日本橋(東京都中央区)によると、
その他、
日本橋改修工事アーカイブ展
日本橋の諸元
(1)構造形式 |
上部工 |
: |
石造り 2径間アーチ |
下部工 |
: |
重力式 |
基 礎 |
: |
神田側橋台および中間橋脚は直接基礎
新橋側橋台は直接基礎および松丸太杭(上流側半分に適用) |
|
|
(2)橋長 |
L=49.091m |
(3)幅員 |
W=27.273m
車道 18.182m(60尺)
歩道 2×4.545m(15尺)(高欄内法) |
(4)橋面積 |
A=1333.8m2 |
(5)竣工 |
明治44年(1911年)(着工 明治41年) |
(6)工事歴 |
第1期工事 |
: |
締切り工事 |
明治41年9月〜明治42年6月 |
第2期工事 |
: |
基礎工事 |
明治42年6月〜明治42年9月 |
第3期工事 |
: |
橋台、橋脚、
アーチ部築造工事 |
明治42年9月〜明治43年12月 |
第4期工事 |
: |
敷石、高欄築造工事 |
明治43年9月〜明治44年3月 |
|
(7)工事費 |
533,890円(当時) |
(8)石材 |
茨城県稲田産 山口県徳山産
茨城県加波山産 岡山県北木島産 |
(9)橋名板の筆者 |
「日本橋」 徳川15代将軍慶喜公(1837−1913) |
(10)橋の設計者 |
米元 晋一(東京士技師) |
(11)装飾部の考案者 |
妻木 頼黄(建築家) |
現在の日本橋 |
※国土交通省東京国道事務所 工事概要より |
だそうです。
はぁ…!
今から104年もの前の話で、完成まで3年間掛かったわけですな。
このように、私は、何かを始めた時には、web などで、調べるうちに、いろいろ勉強になりますね。
様々なエピソードなどを、知るのがまた別の楽しみなのです。
それでは、これらを基に作ることにします。
これが、大正2年工学会誌掲載・明治44年日本橋改修工事の図面です。
画像は、ほぼ完成した日本橋。(2012.6.21)
************************************
透明板に、テクスチャを貼り付ける **************************************
東京市道路元標も作ります。
この、上部に、横に張り出した、唐草模様の部分は、透明板に、テクスチャを貼り付けて作ります。
こんな画像を作り、見ながら適当に、柱は、Cubeなどで作ります。
高さは、約7メートルだそうです。
これは、都電の架線のポールを兼ねていたそうです。
Blenderでは、レンダリングで、透明にするには、マテリアルにある、アルファの値を、ゼロにします。
そして、UVテクスチャ画像を貼った時に、その画像に、透明の指定があれば、透けて見えます。
今回のように、唐草模様のようなものを、ポリゴンで、作ったら、メモリが幾つ有っても、大変ですね。
そこで、画像を貼り付けるわけですね。
ところが、私たちの、FlightGearで使う、.ac
フォーマットで、出力する場合、上記のままでは、テクスチャまで透明になってしまいます。
それでは、どうするのかと言いますと、設定は、ほとんど上記のままですが、1つだけ、マテリアルの、アルファの値は、1にします。
そして、画像は、透明にしたい所だけ、その設定にしますが、黒を指定します。
画像フォーマットはRGBAを使える、.tga か、.png などを使います。
****************************** 日本橋まで、ひとっ走り
****************************
まず、軽くデモンストレ-ションと行きます。
@ 羽田国際空港の、国際線ターミナル脇の、駐機場です。
A 環状八号線をゆく、ワーゲンバス。
国際線ターミナルに駐車場に、観光バスが沢山来ている。
今日もよい天気だ。
ポーズを決める、ワーゲンバス。
いつもの、滑走路から出発です。
今日も快晴、よい気持ち。
今回は、日本橋の完成祝いに、橋まで、走って見ます。
道路も、危ない所を、多少修正しました。
そして、いくつかの路線も追加しました。
燃料も満タン。スピードメータも作動してます。
この、羽田国際空港からは、東京都道6号線(産業道路)に入り、大田区大森町で国道15号線(旧東海道・京浜第一国道)に入ります。
この路線は、私が生まれ育った所ですので、特に、思い入れが深くなり、すいません。
昔、幼馴染と遊んだ所や、同級生が暮らしていたり、通った小学校や、中学校があります。
青春時代を過したこの場所。
こうして、書いていると、沢山甦ってきます。
良いですねぇ… 私の場合、楽しかったことなど、良い思いでばかりが、浮かんできます。
今回も、タイマーをセットしました。日本橋まで、何分掛かるでしょうか?
品川区北品川・八つ山橋です。出発から、15分掛かりました。
JRの、山手線や、東海道本線・京浜東北線などを跨ぐ橋です。
渡ってすぐ左に折れると、五反田方面に行きます。
この15号線は、もちろん日本橋が基点です。旧東海道ということになっていますが、右側の、北品川付近で、鮫洲あたりまで、本来の旧東海
道があります。
また、前にシトロエンで走った、神奈川県の、みなとみらいのすぐ近くの栄町までです。
まあ、今通ってきた道は、バイパスと言った所でしょうか。
この路線は、普段は、大変な交通量で、万年渋滞などと言う人もいます。
前方に、新宿副都心が見えてきました。
前々回ひっくり返った、高輪付近です。
目標に、注意の看板を設置しておきました。
前にも、説明しましたが、この右側には、天王洲アイルや、その先に、上げだしたらキリが無いほどの有名な所があります。
いまや、若者の間で知らない人はいない、お台場もあります。
東京ビッグサイトも近いです。
無事に、危険箇所を抜けました。
港区三田を過ぎて、芝四丁目付近で左にカーブします。
前方のビルの辺りが、新橋です。
新
橋の、ロイヤルパーク汐留タワーのすぐ近くを通ります。
この所で、今度は、JRのガードと交差します。
このガードの上は、JR新橋駅です。
この付近の左側には、超高層ビル群があります。
また右側には、汐留・浜離宮があります。
その運河の先には、築地市場などがあります。
さあいよいよ、銀座通りに入ります。
銀座の真っ只中です。すぐに、銀座4丁目交差点です。
左は、有楽町あたりです。緑色の丘は、皇居です。
実際のこの場所は、大変な賑わいの場所です、むかしから歌に歌われた、銀座の柳も立っているはずです。
有名な、デパートや老舗の店が立ち並び、またきれいに着飾ったスタイルのよい女性(おっホン!、失礼)などが、大勢歩道を歩いています。
むかしは、銀ブラなどと言ったものでした。
銀座4丁目を、右に曲がり、少し行くと、左側に、歌舞伎座が有ります。
その先には、勝鬨橋があり、月島に渡ります。
その交差点を、左に行くと、佃煮で有名な佃。
そのまま門仲で知られる、門前仲町、その先はまったく関係ないですが、私の母の生誕地深川。
私の、若いころの、恋人が居る深川と、思い出が、色々巡って来ます。
錦糸町?あのね、それはもっと先の両国の右です!
おっと、また皆さんを、追憶の彼方に… (またかよ!いいかげんしろ!と声が聞こえたような…)遠くのビルは、新宿です。また、右にポツ
ンとビルが建っていますが、池袋方面です。
と言われても…、他に何にも置いていないので、実感が無いですね。
画像追加(2012.06.27)
目標が何も無くて分からないのと、ちょっと寂しいので、銀座4丁目に建物を置きました。
デパートと、時計店、ギャラリー、円筒形の建物は、スプレー缶ではありません。水着の展示で有名な店です。
この画像の先が、歌舞伎座や、勝鬨橋の方向です。
もと来た道は、右方向です。
左方向が、京橋になり、目的地の方向です。
デパートには、私が前に描いた、油絵をそれらしく貼っておきました。
他人の絵を貼ると、著作権がどうのと騒がしいですからね。
京橋を過ぎて、すぐに、ゴールの、日本橋が見えてきました。
このあたりにも、有名なデパートが軒を並べています。
日本の商業の中心地であった、銀座から、日本橋界隈。
この日本橋川の右側に江戸時代には、魚河岸があったそうです。
現在では、上に首都高速が通り、こんな青空は見えませんね。
この右側には、有名な兜町の証券取引所があります。
ゴール!。
出発から、33分やっと着きました、運転ご苦労様。
今まで、私が作ったFlightGear用の橋の中では、特に念入りに作りました。
何しろ、江戸時代から続く、日本の道路の基点とされて来た場所ですからね。
橋の真ん中には、建設当時に、立てられ、つい最近の、都電の廃止まで有った、東京市道路元漂を立てておきました。
もちろん、線路もです。
私も、結婚前には、デートで銀座に出たり、映画を
見に来たりしました。
また、アルバイトで、飲料水のルート販売車で、日比谷の映画街を、着ているユニホームが汗で塩が噴いたまま回ったことも良い思い出の
場所、東京。
もう、沢山の思い出が詰まっています。
橋のマスコットも忘れては居ません。
麒麟と、獅子の銅像も作りました。
特に、獅子の銅像は、東京都のマークも持たせてあります。
何か寂しいなぁ。明治の完成当時だってもっと賑やかだったそうですな。
このあと、Uターンして、皇居前を通り、日比谷公園まで行ったのですが、そこで、道をそれて、ストップしてしまいました。
今回、初めの計画には無かった、日本橋の制作です。
このワーゲンバスは、FlightGearだけではなく、私の製作中の、ゲームの、ロケに使うつもりで制作したものです。
もちろん、FlightGearの、シーンの中で、よい場所を探して、ロケハンにゆくかも…。
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